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「葭始生」の時です (4/19-4/24)

二十四節気「穀雨」の初候が、七十二候の「葭始生(あしはじめてしょうず)」です。

二十四節気・穀雨の初候は「葭始生」(あしはじめてしょうず)です。日本では「葭(葦:アシ、ヨシ)」ですが、中国では「萍(へい:浮き草)」と表現されています。いずれにしても水辺や水中に生える草です。日本に暦が渡り、いつしか萍が葭に書き換えられた背景には、かつての日本人の生活と葭(葦)との間に深い関係があったからかもしれません。

8世紀初頭に編纂された古事記や日本書紀では、自国のことを「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」や「豊葦原千五百秋瑞穂国」、「(豊)葦原中国」と呼称しています。

それらの意味は「葦の穂が水田に幾千年も豊かに生い茂る国」といったものですが、国名に葦や稲穂を入れるほど農業が盛んで豊かな国だということを強調しており、隣国に対してそのような国であることを印象付けたかったのでしょうか。

現代では、川辺に生える背丈の高い邪魔な草程度に思われがちな葦ですが、昔は農閑期になると葦を刈り取り、屋根や壁、すだれの材料としたり、乾燥させて燃料や肥料にするなど、様々な用途があったのです。

ところで、葦と言えば17世紀の哲学者パスカルが有名な言葉を残しています。著書『パンセ』の中で「人間は自然界の中でもっとも弱い一茎の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」と書いています。

宇宙の広大さを思うと人間などちっぽけなものですが、それでも思考は宇宙いっぱいに広がることができます。無限や永遠について想像を巡らせることができるのも、パスカルによれば「われわれの尊厳」のうちです。柔軟な知性と矛盾をはらんだ複雑な精神の宿主、それが私たち人間なのかもしれません。

ちなみに、パスカルが葦を引き合いにしたのは、『マタイの福音書』(イザヤ書)の「彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない」という一文。今にも折れそうな葦や消えゆく灯のような人であっても見捨てずに救う、という尊い心について述べたもので、それは聖人に限らず、私たちの胸の奥に宿っている崇高な精神です。

話を「葭始生」に戻すと、この時期は春の長雨(3月中旬から4月上旬にかけて降る雨のことで菜種梅雨ともいう)で潤った大地から若芽が顔を出し、木々からは若葉が青々と茂りだします。植物たちは、それぞれに生まれ持った性質の下、与えられた環境で立派に育っていきますが、このことをテキスタイルデザイナーの脇坂克二氏は次のように表現されています。

松には松の美しさがあり、
竹には竹の美しさがある。
松に竹の美を求めても無理である。
人も同じで、その人その人の
長所を生かすようにすればよい。
自然に、無心に、あるがままの姿で
生きていくことが出来れば、
それが最も美しいことなのだろう。

この言葉は、「葭始生」に込められた意味を言い表すのにぴったりです。葭(葦)は自然界の雨風に抵抗するすべをもたず、されるがままに揺れますが、柔軟にしなるために簡単には折れません。それは葦の特性であり長所です。

人も、自らの運命を受け入れたうえで、自分の特長を生かすように生きていくことが、もっとも素直で自分らしくいられる秘訣です。