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「雷乃発声」の時です (3/30-4/3)

二十四節気「春分」の末候が、七十二候の「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)」です。

「春分」の次候(真ん中)の5日間は「桜始開(さくらはじめてひらく)」です。読んで字のごとくで、春真っ盛りになり桜が咲き始めた光景を描いています。

春分節の末候は「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)」です。古暦では「始電(はじめていなびかりす)」とあり、どちらも雷電という点では同じですが、雷は「雷鳴」を、電は「稲光」を表します。そう考えると、音と光の祭典、アーティストのライブを想像してもいいかもしれません。

雷電は天から地へと、その電位差によって放電される現象ですが、まだ科学的には解明できていないことが多いそうです。しかしながら、これはトップダウン(上意下達)の仕組みを象徴している、ということは言えると思います。場合によっては、雷のような威厳でもって「鶴の一声」で決めてしまうようなワンマンな組織を揶揄している面もありそうです。

前回の次候(「桜始開」)でも書きましたが、日本を含めた世界の各地で、雷は「神」に紐づけられています。ただし、全知の神が指示したことならともかく、人間が神のまねごとをして権威ぶっても必ずしもうまくゆくとは限りませんよね。言うことを聞いてくれる人たちもいれば、従わない人もいるし、ときには猛烈な反発に遭うこともあるものです。

雷(雷鳴)はまた、一人ひとりの激烈なエネルギーやパワーを表しますから、それが周囲を巻き込んで大きなムーブメントを作り出すこともあれば、逆に人々を蹴散らしてしまって孤立化することもあるでしょう。

一方、稲妻(光)は瞬発力や即効性の象徴だと考えることもできますし、花火のように一瞬の演出に全てを賭けることの象徴なのかもしれません。それらは人々に驚きをもたらす反面、瞬間で終わってしまう儚さや持続性のなさを示す場合もあるでしょう。世間で一発当てても、続かなければ生き残れないという現実の厳しさも、おそらく暗喩しています。

この「雷乃発声」(もしくは「始電」)の5日間に、あなたがどんな考えや感情を抱いたか、忘れずにメモしておきましょう。それは初心として、これからのあなたの指針になる可能性があります。

夢や目標を叶えるためには、単発の雷みたいに一発屋で終わらないよう継続力をつけなくてはなりません。長距離走でスタートダッシュをした人が、ラストまで先頭を突っ切ることはほとんどないのですから。

新しい年度を迎えて気持ちも新たにやっていくためにも、何か目標を決めてみましょう。そして、そこに向けて地道に励んでみることをおすすめします。